6000B.C. | 初期農耕と牧畜が行なわれる。この頃には羊毛や獣毛による織物があったらしい。 |
5000~ 3000B.C. |
銅器時代。5270-4630B.C.頃のメソポタミアでは、むしろ状に編んだ敷物が使われていた (このむしろ編みの敷物がヨーロッパでは実に18世紀まで続く)。 |
2500B.C. | 中央アジアで手結び絨毯が使われるようになる。 |
715B.C. | ディオケス、メディア帝国を建設。 |
583B.C. | メディアに生まれたゾロアスター教の始祖ゾロアスター死す。 (ちなみにブッダや孔子もこの時代の人)。 |
559B.C. | 古代ペルシア帝国の始祖キュロス大王即位。その墳墓は一面絨毯で埋められていたとか。 |
522B.C | アケメネス朝ペルシアオウ、ダリウス一世即位。 |
485B.C | クセルクセス一世即位。期限z念5世紀頃のものとされる絨毯が、今世紀、ソ連アルタイ山中パジリクで発掘される。 文様のスタイルはアケメネス朝風で、結びによる現存する絨毯としては世界最古のもの。 |
333B.C | アレクサンダー大王、ペルシアを征服。 スサでは“ヘルミオン紫”なる紫色の絨毯を手に入れた、と『プルターク英雄伝』にある。 |
150B.C | 漢の武帝時代、東方への道が開けることによってシルクロードが整備される。 広義には西はローマから東は洛陽まで。 |
25 | この年にははじまる後漢のものとみられる彩色手織り絨毯の断片が新彊ウィグル自治区で発掘されている。 |
232 | アルデンシールがパルティアを滅ぼし、ササン朝ペルシア帝国起こる。 日本では卑弥呼の時代、魏帝から絨毯らしい織物をプレゼントされた模様(『三国志』「魏志倭人伝」)。 |
C570 | アラビア預言書、イスラム教の始祖マホメット生まれる(ちなみにこの頃、百済より日本に仏教伝来)。 |
629 | 唐の僧・玄奘、天竺(インド)へ旅。西域各地で絨毯を見る。 |
642 | イスラム教に染まった新興アラビア軍に破れ(ネハーヴァンドの戦い)、ササン朝亡ぶ。 ホスロー王の伝説的な綴織、もしくは平織による大絨毯“ホスローの春”(縦横およそ27.5m)もアラブ人の手に。 以後、ペルシアは9世紀にいたるまで決定的にアラビア=イスラム文化の影響をうける。 なお、『コーラン』の成立は646。もっとももイラン人はイスラムの異端シーア宗びいき。 |
756 | シルクロードによる東西交易の終着駅・正倉院の遺品目録に「花氈」の文字。 今でいうフェルトだったとか。 |
820 | タヒール朝起こる。以後11世紀半ばまで、多くの王朝が興亡を繰り返しながら、次第に民族色をとり戻してゆく。 |
1055 | セルジューク・トルコ朝、中央アジアに起こる。芸術・科学を保護奨励、『ルバイヤート』の詩人にして天文学者のオマル・ハイヤームや詩人のニザーミー・アルズィー(絨毯を「王者の花園」と歌った詩あり)、さらにイスマーイール派運動を展開した哲学者、詩人のナースィル・ホスローらを輩出させた。(この時代、西方では間もなく十字軍がエルサレムを占領)。 |
1219 | チンギス・ハーンの西征はじまる(―25)。翌年、モンゴル軍の一部がイランに侵入。1258にはバクダートを落とし、アッハス朝イスラム帝國を滅ぼす。 |
1256 | イル・ハーン朝(―1349)、イランを統治。中国など東方の影響をうけてペルシアの工芸デザインも大きく変わったとされる。 |
1271 | イタリアのマルコ・ポーロ、大都(北京)へ向けて出発。「タブリズは立派な大都市で、金糸銀糸で織った高価な布を産し…」「(ペルシアの)都会には商人や労働者、金糸絹糸で布を織る工匠がいる」「(キルマンの)婦人たちも金糸絹糸の織物の上に色彩ゆたかに鳥獣、花木をたくみに刺繍」(青木富太郎訳)。 |
1299 | 小アジアにオスマン・トルコ朝起こる。 |
1369 | ティムール朝(―1500)。イル・ハーン朝時代とともに、国内に多くの建築物をつくり、異文化をもたらし、文運隆盛に刺激を与えた。 |
1400 | 15世紀、オリエント各地に伝わる説話の集成した『千夜一夜物語』がほぼ現在の形にまとまったとみられる。 バザールの賑わいが背景をなし、「アーマッド王子と仙女ペリ・バヌの話」に出てくる。“空飛ぶ絨毯”は童話としてもよく知られているところ。 |
1502 | サファヴィー朝起こる。 |
1524 | サファヴィー朝シャー・アッバス一世即位(―1628)。この王の命で有名な「アルデビル」絨毯がタブリーズで織られたとされている。 |
1533 | ハンス・ホルバインが「二人のフランス大使」にアナトリア産とされる絨毯を描く。 ホルバインの作品にはこの他にも絨毯が登場、「ホルバイン・カーペット」として知られている。 ちなみに絨毯はルネサンス期イタリアのフレスコや絵面にもたびたび登場。当時の現物はほとんど残っていないだけに、貴重な考証の手がかりとなってきた。 |
1587 | サファヴィー朝シャー・アッバス一世即位(―1628)。 この芸術の大パトロンのもとで、ペルシア絨毯もかつてない黄金時代を迎える。 王立工房で染色の技術の改良、デザインの洗練がはかられ、これを見たヨーロッパの旅行者が、伝説のようにそのすばらしさを伝えることになる(もっともヨーロッパで本格的に知られるようになったのはようやく19世紀後半。たまたまサファヴィー朝にカシャンやタブリーズで織られた絨毯をポーランドの皇太子がもっており、1878年のパリ万博に出したが、それがてっきり「ボローネーズ」=ポーランド産=と信じられていたのは有名な話)。 こうして、この時代を頂点に、昔ながらの手仕事に依存しながらも、以後はむしろイランの主要輸出品として伸びていく。 |